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青森家庭裁判所八戸支部 昭和51年(少)436号 決定 1976年8月11日

少年 N・O(昭三一・六・二九生)

主文

少年を特別少年院に送致する。

少年院に収容する期間は昭和五二年八月一〇日を限度とする。

理由

(虞犯事由)

少年は、昭和五一年二月一三日当庁において暴行保護事件により青森保護観察所の保護観察に付され(その後同年四月二六日恐喝未遂の再非行を犯して当庁で審判を受け、試験観察を経て、同年六月二四日不処分決定)、現に保護観察中のものであるが、保護観察開始後間もなく(同年二月二四日頃)保護者及び担当保護司に無断で家出し、友人宅や以前から交遊のあつた暴力団員の事務所に止宿し、パチンコ、飲酒等の遊興に耽る生活を続けていたものであり、同年五月七日上記恐喝未遂の非行で逮捕されて当庁に係属し、その際、保護者及び裁判所、保護観察所等関係機関の強い指導により、暴力団との関係を断ち、定職に就くこと等を誓約したがその後においてもその生活態度は改善されず、成人に達した同年六月二九日、再び家を飛び出して、無断外泊をするようになり、暴力団事務所に出入りして当直番を務める等して徒食遊興の生活をするに至つたもので、このまま放置すれば本人の性格、環境に照らし、将来罪を犯す虞れがあるものである。(適条)

少年法三条一項三号イ、ロ、ハ

(処遇理由)

1  少年の生活歴、家庭環境は少年調査記録記載のとおりであるが、少年の生い立ちのうえで特記すべき点としては、父が少年の出生以前から今日に至るまで漁師として漁船に乗り組み年間の殆んど家庭を留守にしていたことから、少年の成長過程において、家庭内における父親の存在および指導教育という、父親の無形、有形の影響をあまり受けずに育つてきていること、そして父の留守中家庭を預る母が病弱のうえ、仕事を持ちながら少年を含め五人の子供(少年は第二子)をかかえていたため、少年の教育、生活指導について、関心を持ちながらも放任とならざるを得ず、そのため少年を甘やかす傾向があつたことが挙げられ、その居住する地域環境(漁師街であり、住宅密集地帯で、飲食店等遊興施設が多い)と相まつて、少年の人格形成に少なからぬ影響を与えているものと思われ、中学時には、その行動に対する保護者の規制が無い状況の中で、気まま自由な行動傾向が目立つようになり、好奇心のおもむくまま万引き(中学二年時、当庁において審判不開始)、飲酒、喫煙等をしたり、不良交友グループのボス的存在として暴力行為等問題行動を起すようになり、高校入学後も夜間盛場を徘徊する等して、不良交友も深まり、怠学がちとなつて半年ほどで高校を中退するに至つた。その後一時漁船に乗つて働いていたが(この間陰部に玉入れする等しており、その生活には問題があつたと思われる。)、昭和四九年五月に下船して以後は、定職に就くことなく、母から小遣銭をもらつたり、時々土工をして遊興費用を得てはパチンコ、飲酒等の遊興生活を送り、その間知り合つた暴力団員の紹介で、昭和五〇年九月から暴力団事務所に「若い衆」として止宿するようになり「ヤクザ」としての生活を始めるに至つた。

2  このような生活の中で、昭和五一年一月八日、少年は暴行の非行を犯し(スナックで飲酒中、スナック従業員に因縁をつけ暴行を働く)、同年二月一三日当庁において保護観察に付する旨の決定を受けたが、その際少年に対して期待されていた更生のための自覚的努力(暴力団と関係を断ち、漁船員として就職すること等)のことごとくはその後全くといつてよいほど実行されず、少年の所在把握不可能の状況の中で保護観察所およびその他の機関による少年に対する働きかけが実質的になされ得ないまま上記恐喝未遂の再非行により、観護措置決定がなされるまで継続してきてしまつたと認めざるを得ず、上記再非行で当庁に係属してからは、保護者も少年の更生に本気となり(父の乗り組んでいる漁船に少年を就職させることにし、それまでの間は母が仕事を休み、少年の指導監督にあたり、又暴力団との縁切にもそれなりの努力をした。)、担当保護司も接触を強める等の努力をしたが、その働きかけも少年の受け容れるところではなく、成人に達するや無断で家を飛び出て、外泊するようになり、依然として暴力団事務所に出入を続け、担当保護司において、その所在把握が不可能となる状況となり、生活指導を継続して行うための保障としての担当保護司との接触という目的は達し得なくなつた。

3  上記のように、これまでの保護者及び保護観察所、裁判所等関係機関の少年への働きかけは、ことごとく少年の受け容れるところではなかつたが、これは少年の自暴自棄的更生意欲の喪失といつたものに基づくものではなく、少年のこれまでの生活環境の中で相当強固なものとして身についた独善的ともいえる自己中心的思考様式、行動傾向及び享楽を人生における最大価値基準とする傾向の現われとみるべきであろう。上記のような遵守事項違反の点やその生活態度について、一応の反省的言辞を示すものの、それは自己の今後の行動を規制し得る者に対する一時的な迎合的対応でしかなく、自己の行動の持つ問題性についてなんら認識し得ないところに、狭いしかも歪んだ生活体験の中で、社会性の発展がはかられないままに極めて独善性の強い行動規範を身につけてきているという人格発展の未熟さがうかがわれるのである。

4  少年の保護者から放任された生い立ちが一方では活動性を発展させてきたものと言えようが、その全行動が粗雑で方向性の欠如した場当り的、衝動的な自己中心的傾向を有するものとして経過してきたことの原因ともなつているとも思われ、このような行動傾向と上記の歪んだ規範意識が少年のこれまでの反社会的生活態度として発現しているものであり、これは容易に諸種の非行に連なるものと言わざるを得ない。

5  以上述べたことに鑑みるならば保護者の少年に対する指導監督も期待し得ない現状において少年を社会内において処遇することはもはや少年の有する問題点を拡大、固定化してしまうものとして相当ではなくこの際少年を施設内に収容してこれまでの遊興生活及び反社会的グループとの接触を断ち、規律ある環境下で自己の行動や考え方などに目を向けるようにしむけ、価値感の転換をはかつて、正しい社会規範と安定した行動傾向を身につけさせる必要があると認められ、少年の非行性の程度、年齢その他諸般の事情を総合すれば、少年を収容すべき施設としては特別少年院が、又その期間は一年間が相当と認められる。

(結論)

以上のとおりであるので、犯罪者予防更正法四二条一項、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 戸舘正憲)

抗告審決定(仙台高 昭五一(く)二四号 昭五一・九・一三第一刑事部決定)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、申立人が提出した抗告申立書に記載されているとおりであり、要するに、少年院に送られたことは納得がいかない旨、および、○村○夫の内妻○子の担当調査官が右○子に「N・Oは少年院に行くことがほぼ確定している」と言つたことは少年のプライバシーを人に放言したものであり絶対許されない旨主張するものである。

そこで、申立人についての保護事件記録、少年調査記録などを検討したうえ、所論の当否について判断すると、先ず、所論の前半は原決定の不当をいうものと理解されるところ、原審が、原決定記載のように、申立人につき少年法三条一項三号イ、ロ、ハに該当する事由を認定したうえ、処遇理由として詳細に説明しているとおり諸般の事情を総合考慮し、この際申立人を施設に収容し規律ある環境のもとで正しい社会規範と安定した行動傾向を身につけさせる必要があると判断したのは、関係記録に照らし相当というべきである。原決定のした処分が著しく不当であるとは決して考えられず、論旨は理由がない。申立人は、この機会に自分のこれまでの考え方や行動を強く反省する必要がある。

次に、所論の後半について検討すると、家庭裁判所の調査官が申立人に関し所論のようなことがらを他人に話したとすれば、それは妥当ではない。しかし、そのことは、申立人についての原決定になんら影響を及ぼすものではなく、原決定に対する不服申立の理由とはならないというべきである。この点に関しても、申立人は他人を責める前に先ず自分自身を反省しなければならない。

以上のとおり、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 千葉裕 鈴木健嗣朗)

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